借地を買われて地代を倍にされた古物商ですが、売れない一点を毎日拭きつづけたら、蒐集家が月に二度、十年通ってこられます

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ですから緋田さん、この茶入の伝来については、私もこの十年、それなりに調べてまいりました。備前とも丹波とも申しますが、土の目を見るかぎり、どちらでもございません。知らない、と緋田琴葉は答える。安かったからです。緋田古美術は表通りから一本入った借地に建っている。間口は二間。琴葉は三十一で、二十の年から店に入って十一年になる。父が死んで六年、この店は琴葉ひとりで回している。帳場の正面の中段に、無銘の茶入が一つ置いてある。肩が浅くて、裾のところで一度呼吸を置いている。朝、晒しの布を四つに畳んで、肩から裾へ向けて上から下へ六度動かす。三十年、この一点だけが動いていない。九条晃輔、四十三。四代続く家の当主で、二十一で蔵を継いで二十二年になる。ひと月に二度、一日と十五日に来て、その茶入の前に座り、前の額に十万を乗せた数を置いていく。琴葉は帳面の右の余白に細い字で零と書く。二百四十行、ぜんぶ零だ。九条は毎回、店に来ると同じことをする。伝来の話を長々として、値打ちのつかない講釈を一つ置いて、額を一つ上げて帰る。十年で二百四十回。断られた数だけが増えていく。四月一日、鵜飼源治が来る。五十六になる同業で、この借地の名義をこちらで買いました、と言う。地代は来月から倍で。九条は町の南側の地面を三筆、一億二千万で買って、鵜飼の裏路地に杭を打った。理由は誰にも言わない。競売場で、琴葉は九条が落とす寸前の掛軸を落款の癖から見抜いて、止めろ、と叫んだ。その晩、名を伏せた誰かが店の借財八百四十万を肩代わりしている。どちらが先だったかを決めたくありません、と九条は言った。父の三十年ぶんの帳面を繰って、琴葉はようやくその一点の正体に行き当たる。売らない一点ではなかった。売れない一点だった。二百七十一番だけ、届出の朱が打たれていない。役所の窓口の人が、九十六個の箱を窓口の合間に一人で開けていく。三十年前に廃業した道具屋の紙が、そのどれかに入っている。手続きというのは、それだけのことしかしません。寄合から外され、仕入れが十一月の頭から止まり、それでも手続きだけが動いていく。三十年動かなかった一点に、はじめて値がつくまで。TL長編小説・全10章完結。
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    8月18日発売予定

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