三年前に夫を亡くした紙漉きですが、荷札に還すと書きつづけたら、片づけ屋が毎晩うちへ帰ってから私を思い出しています

三年前に夫を亡くした紙漉きですが、荷札に還すと書きつづけたら、片づけ屋が毎晩うちへ帰ってから私を思い出しています

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初冬の、霜の降りた朝だった。若槻千代は納屋の板戸を半分だけ開けて、そこから先へ一歩も入れずにいた。三年前の十一月三日、赤土坂で荷車が落ちて、夫の壮吾は三十六で死んだ。納屋にはその人の道具と紙が、そのまま置いてある。千代は三十一。二十二でこの家へ来て、九年、坂の上で紙を漉いている。日に百五十枚だったものが、いまは七十枚になった。板塀の切れ目のところに男が立っている。甲斐野透、三十三。十八から十五年、人の家の遺品を片づけてきた男で、納屋の中へ一歩も入らないうちに、梱が四十一あると言い当てた。一日八十銭、二十日で片づく。そういう見積もりだった。捨てる、ではなくて、還す、と言っていただきたいんです。千代がそう頼むと、透は条件を一つ出した。還したら、数えてください。それから毎日、荷札に太い字で還すと書いて、二人はその数を足していった。今日は七つ還した。透は十一日来なくなり、千代は人手が要るという嘘をついて、橋を渡った裏長屋まで迎えに行く。井戸端に桶を三つ並べて竹皮の握り飯を分け、透は十八で母を亡くした日のことを話す。町に噂が立った日、千代は漉き場の戸を閉めずに、かえって開け放って仕事をした。透は簀桁の減り方を見て、壮吾の最後の半年について何か言いかける。千代はその手首をつかんで止める。紙問屋は腕が上がらなかったと言い、佐野の婆は問屋へ出す日ではなかったと言い、車力は紙以外に何があると言う。三人が三人とも、違うことを言っている。千代は透に簀桁を持たせてみる。一枚目は裂けた。二枚目が板に残った。反故を三百枚漉き返して作った一枚を、透は何も言わずに置いていく。晦日で終いにすると言った口で、その言葉を自分から取り消す。奥さんが井戸の縁でしゃがんでいるところとか、木槌を持ち上げる前に一度肩を回すところとか、そういうものを、おれは家に帰ってから思い出しています。毎晩です。庭の土の匂いが立っていた。千代はその匂いを九年嗅いできて、その夜はじめて、それが自分の体を熱くするのに気づいた。荷札が四百七十二枚になって納屋が空になるまでの、初冬から初秋まで。三年開かなかった板戸の話です。TL長編小説・全10章完結。
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    8月19日発売予定

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