免状を出されない女の指南役ですが、河岸の家で一寸ずつ直しつづけたら、回漕店の主が六日に一度の数をひとつも落とされません

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「作法ってのは、なんぼ払えば身につくもんですかね」。三雲志乃が大鷹の家の敷居をまたいで最初に聞いたのが、この一言だった。河岸の町。大鷹回漕店の主、大鷹源太、三十四。十二の年から荷を担いで二十二年、この男に爵位のある家の席へ出る用ができた。座り方が分からない。膝の送り方が分からない。宮中の席で使う礼など聞いたこともない。それで作法の指南役を、ひと月十五円で雇い入れた。三雲志乃、二十六。十六で壺井の門をくぐって十年になる。壺井流は女に免状を出さない。それは入門の日に聞かされていた。宗家が四十五年で出した免状は百九枚、そのうち女は零。志乃が手を入れて免状の出た者は二十九人いるが、四百年つづく帳面の左の欄に、志乃の名が入ったことは一度もない。志乃の数え方は一寸きざみだった。八歩に十一の狂い。四歩目の膝が一寸だけ内へ入る。直した数だけを数えて、直された人は数えない。初日の直しは三十一だった。稽古は六日に一度と決めた。源太は数を聞くと、必ず同じ返事をした。三十一な、覚えとく。二十六な、覚えとく。三人だ、覚えとく。紙に書くところを志乃は一度も見たことがない。代わりに次に会ったとき、この男は前の数を先に言う。作法は金で買えるのかと源太は訊く。買えるものと買えないものの線を、志乃は縁の板の上に指で引いて見せた。源太は四百年の礼の順を、肩に残った古い癖のせいでどうしても膝から入れない。だから志乃は、膝から入る順のほうを作り変えた。四百年、誰も動かさなかった順だった。六日に一度この坂を上る用ができたせいで、上らない五日が待つ日になった。十年、志乃の一日には待つものが何もなかった。何もなかったことに気づいたのは、あるようになってからだった。八月二十三日、二十六度目の通し稽古で、その日の直しはとうとう零になる。九月五日、試問の日が来る。十一番目まで一寸も狂わなかった源太が、十二番目に指南の名を訊かれる。その返事のあとに何が起きたかは、稽古所の帳面のどこにも書かれていない。帳面の左の欄に名の入らなかった十年ぶんの仕事を、紙ではないところに置いた男の話。三月の末から十一月十六日まで。TL時代小説・全10章完結。
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    8月16日発売予定

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