輪の径は二尺、輻は片輪に十四本、二輪で二十八本。ただし、作ったことはない。下の村の車大工トビアス・ゼルナーは、初夏の坂を上がってきて、挨拶より先に離れの戸口の段が四寸あることを測り、そう言った。年に二度しか使わない輿を四人がかりで直すより、毎日ひとりで動ける物を作ったほうが早い、と。ヨハンナ・エッケルト、二十歳。二年前の六月、領の狩り集いの朝に馬から落ちて、腰から下が動かなくなった。輿が来るまでの半刻、庭にいた十九人は輪の形のまま静かに後ろへ下がり、彼女はその真ん中を、三十六数えるあいだ土の上を這って進んだ。婚約は「療養に専念されたく」という一行で解消され、父は卒中で言葉が半分しか出なくなり、家は伯父が回すようになった。以来、屋敷の離れから出ていない。前の生では、人を連れて山を歩く仕事をしていた。谷筋の宿から尾根まで、五人か六人の客を並べて登らせ、日暮れまでに下ろす仕事である。ヨハンナは椅子の話を断る。断ると彼は言い方を変えて三度持ち出し、四度目は間を置いてから一度目にする。帰りぎわに、四寸の段を坂にする長い板を一枚だけ置いていった。八月、三日降りつづいた雨で堤の東の曲がりが抜けた。離れの窓から松明を数えたヨハンナは、坂を下りた三十一人のうち二十九人しか上がってこなかったことを知る。人を担ぎ出していたトビアスは足場の材に右手を挟まれ、指の付け根の骨を三本砕いて鉋が持てなくなる。仕事場も、鉋三つと鑿十一も、壁ごと流されていた。領へ出す届けの紙には「被害の有無」という欄しかなかった。ヨハンナは欄を七つに割った紙を三十二枚こしらえ、荷車に乗って村を一軒ずつ回る。いちばん右の広い欄の見出しは「この家が今いちばん困っていること」。秋の寄合で、彼女は二十一軒の床板と、流された四軒の土地と、道具を失った一軒への手当てを願い出る。返ってきたのは「女が口を出すことではない」と「寄合は前例で動く」だった。前例が無いのではない。誰も探していないだけだった。書役の老人の机の右にある棚には、老人の四十一年と、その父の五十年を合わせて、九十一年ぶんの記録簿が並んでいる。三日通って掘り出した前例は三件。六十七年前の種籾、四十年前の材木、そして二十二年前、橋の普請で手を潰した者に麦を出した一行。初冬、雪が来るまでに車道を直せという期限が切られる。三百間を五十日かけるか、二百間を三十四日で通すか。彼女は直す長さのほうを削り、二十七軒の名を日付ごとに並べた割り当ての紙を、寄合所の壁に貼った。馬から落ちた娘が、九十一年ぶんの棚から一行を掘り出すまでの、六月から三月まで。異世界転生の恋物語・全10章完結。
