山あいの屋敷に、鍵が十九本ある。うち十四本は毎日使う。残りのうち一本は、何を開ける鍵なのか誰も知らない。マティルデ・ゾンネンベルク、二十二。前の生では、人が倒れたと聞けば真っ先に走っていく仕事をしていた。二年前、氷室の梁が落ちた日、彼女は棚の下にいた十一歳の下働きの子を押し倒して庇い、胸を打った。出血は止まらない。婚約は消え、跡取りの座からは外され、伯父は椅子のかわりに鍵束を彼女の前に置いた。八月二十日、医師のヴェンツェルが、もって一年でしょう、と言う。マティルデは泣かなかった。厚紙を二十枚綴じて帳面を作り、右上に第一日と書く。使用人十一人の暇乞い金を、勤めた日数から算盤で出す。全部足して四万四千八百九十五日、銀貨に直して四百四十八枚と銅貨九十五。母の遺した絵皿六枚を売る。自分の弔いの見積りまで取らせる。決めるべきことは十項目あって、十番の「鍵十九本の行き先」だけが、書きかけのまま線を引かれて白く残った。見積りを命じられた侍従のラウレンツ・ハイムは二十四。十五の年から九年、朝の水も門の錠も使用人の割り振りも、名前のないままこの男が回してきた。命じた弔いの値の裏には、命じていない薬師の値と、氷室の梁を組み直す値が書いてある。二つの締めの差は、銀貨で二枚しかない。親族会議で血を吐いた彼女を抱えて広間を横切り、罰として厩で二晩、給金を半分に減らされても、この人は何も言わない。三日かけて北の山へ薬師を呼びに走り、帰って立ったのは、庭でいちばん土の固い場所だった。六年前、朝から日暮れまで彼が立たされていた場所である。十二月の夜半、第百四日に発作が来る。息が入らず、腕も上がらない。夜通し背中に掌を当てられながら、マティルデは二年封じていた語を一つ使う。十一人ぶんの日数を数えつづけてきた娘が、いちばん近い一人の日数だけを数えていなかったと知るのは、その夜である。年が明けて、伯父は新しい家令を連れてくる。マティルデは前の家令が残した朝の指図十九件を一息で暗誦して、一月で覚えられますかと訊く。六年前と同じ語が同じ人の口から出たとき、彼女は二階からではなく、三歩で動いた。数える側にいた娘が、自分の口で一言の訂正を言うまでの、晩夏の八月から春の四月まで。異世界転生の恋物語・全10章完結。
