馬喰町の通りには公事宿が軒を並べている。国から出てきた願人はこの町に泊まり、この町で願書を書いてもらい、この町から奉行所へ通う。霧生源之丞、三十八。十八の年に吟味方の詰所へ入って二十年、口書を二百七十三通書いて綴りに納めてきた。一枚に十一行しか書かない。行間が空いていれば、後から足された行が一目で分かるからである。見習のときに上役から叱られて以来、二十年、口書に「者共」の二文字を使ったことがない。十二月十八日の朝、源之丞は白洲の砂の上に座らされた。読み上げられたのは五年前の九月十二日付、巴屋文助口書、書き役、霧生源之丞。末には文助の左の親指の爪印まで揃っている。源之丞は読み上げを一度だけ遮った。三つ目の一行——その外の者共の名は存ぜず候。自分の字で書かれた、自分の言葉でない一行である。差し控え、屋敷預かり。書物蔵の留書を六年前まで遡って見たいと願い出たのが十二月八日で、砂に座らされたのが十八日。あいだは十日しかない。巴屋文助は五年前に牢で死んでいる。九月十五日に入牢して、二十四日目の十月九日である。妹のちよは奉行所へ書面を三度出して、三度とも返事はなかった。宿には願書の控えが五年ぶん、日付の順に残っている。九月一日、四通。二日、三通。三日、五通。四日、二通。十一日の欄は上の三行が兄の字で、四行目から妹の字に変わる。日付は十一日。奉行所に納まっている紙だけが、十二日である。そして巴屋ちよ、二十九。十七の年から帳場に立って十二年、人の困りごとを奉行所の読める形に直してきた女で、返事を待たずに先に立って歩き出す。柱に十一と十二だけを書いた紙を貼り、半年で二十七人に訊かれて二十七人に話した。毎日は無理でも三日にいっぺんは来なと言い、来れば膳を出す。五年前に兄のために二つ目の膳を出さなかったことを、この人は五年悔やんでいる。牢屋同心が油紙にくるんで五年持っていた薄い帳面。無縁の位牌の裏に小刀で彫られた十一の、末の一画だけが二重になっている。寺の寄進の覚えに、十月十一日、金二十両、無縁供養料。差配が天井裏に上げたまま五年忘れていた反古三十七枚。石船一件の留書は二十五枚、二十五枚、二十一枚。綴じ穴は四つ、四つ、五つ。六月二十二日の白洲に、証人は一人も呼ばれない。牢屋同心は牢屋敷にいて、茶屋の女将は茶屋にいて、差配は長屋にいて、隠居の坊主は寺にいる。四人とも自分の場所でいつもの一日を過ごしながら、自分の書いたものが読み上げられていることを知らずにいる。時代小説・全10章完結。
