「口開けはまだだぞ」——三月八日の朝、濁りの抜けた川に腿まで浸かって、安曇六郎は籠を十二だけ振っていた。十三振ると細かい砂利まで一緒に抜けてしまう。掟書に書いてある定日は、三月十日である。安曇六郎。二年前の十月にこの村へ移ってきた砂利採りで、訛りが強く語尾が喉のほうへ落ちる。落ちた分だけ、相手には子音の頭しか届かない。去年は五十八日川へ入って百七十四荷を出した。それでも講の帳の名の欄だけは空のままで、村の触れの回り順にも入っていない。暮六つの寄合で申し渡された過料は四百八十文。荷につき三十二文だから十五荷ぶん、五日のただ働きになる。六郎が言えたのは「水が先だ」の一言で、二度言って、三度目は言わなかった。壺井惣右衛門、五十八。講の肝煎を継いで十二年になる。人を裁くときほど声が低くなり、聞き取れなくても聞き返さない。月に六度、住む者のない講宿へ来て、帳と掟書を風に当てる。宝暦のころの巻きは末尾を虫が食っていて、末の一条は頭の三字が穴になっている。残っているのは「を見て日を定むべし」の九字だけだ。何を見るのかが分からないので、十二年、この一条だけを写さずにきた。井戸の釣瓶縄が切れて、当番の順を書いた紙が村のどこにも無いと分かる。堤は二百二十五間あるのに、割りは四十一軒に五間ずつで二百五間しかない。余る二十間を、二年、誰かが一人で八日かけて直していた。名を書かずに帳場へ置かれた四百八十文。長雨で濁った窪みの水を三日置き、樋を三本挿して汲み、晒しを二枚重ねて漉す。選ると三荷が二荷になり、下へ落ちた川砂は三日干さねば目方が合わない。十二になる娘のうめは、二年ぶんを頭の中で数えていた。村の触れは六十一回あって、家に来たのは十七回。順にちゃんと回ってきたのは四回だけで、あとの四十四回は来なかった。火の番の割りも、井戸の当番も、道普請の日取りも、その中にある。「うちに要るのは銭じゃないんです」と娘は言う。「紙です」紙は町の紙屋で百枚二百文だった。年に三十回、四十二軒へ配れば千二百六十枚になるが、講宿の軒下と川の渡り口の二か所へ貼るなら六十枚で足りる。——三月の口開けから師走の寄合まで、届かなかった触れの数をもう一度数えなおす一年。時代ライト文芸・全10章完結。
