「千吉! 起きてるんだろう、障子が白いんだから! こっちは氷の上で棒立ちだよ!」——明けの七つ前に隣の戸を蹴る女が、ほかの町にもいるものだろうか。町角に豆腐屋が二軒、背中合わせに並んでいる。東が戸倉千吉、三十四。西が浅羽なみ、三十一。十九年前にこの角の店が東と西へ分かれたとき、井戸と水舟と石臼だけは分けずに共有のまま使うと決まった。分けようがなかったからで、分ける金もなかったからだ。水舟が凍れば豆は浸からず、浸からない豆は挽けず、挽けない豆は呉汁にならない。二軒とも昼まで暖簾が出せない。千吉は夜番を交代で立てようと言い、境の柱に当番の夜を刻みはじめる。凍った夜は二十一夜続き、柱には東に十一本、西に十本の傷が残った。臼の目が潰れる。寄せ桶が固まらない。豆問屋は八月からの仕切りを「一軒ぶん」で出すと言う。町の者に訊けば十人が十人、あの角は一軒だと答えるからだ。なみは釜を質に取られ、東の釜場を一日五十文で借りて、九つの鐘とともに薪を担いで裏口から入ってくる。値を決めたのは買う側のなみだった。一つしかない物を二人で使うかぎり、二軒は一軒に数えられる。二人は水舟を真ん中で切り、樋を二又にし、臼を二つにし、柱の切り込みを削り落としていく。——凍る夜から翌年の晦日まで、一つだったものが一つずつ二つになる十二か月。時代ライト文芸・全10章完結。
