谷をひとつ入ったところに楮ヶ谷村がある。川原に石の台が十九、そのうち水を張った漉き舟が据わっているのは八つ。この村では紙は一枚三文と決まっていて、決めているのは庄屋の網野吉左である。三年前からその値は動いていない。村の八軒が漉いた紙は月に二度まとめて買い上げられ、峠を越えた先で幾らになるのかを見た者は、この村にひとりもいない。須賀十市、二十七。十二の年から漉いてきて、二十五の年に王都の紙座の漉き手帳から名を消された。同じ紙料で二割多く枚数を出せ――つまり二割薄く漉け、と言われて断った翌月のことだった。消された者の名は、どこにも残らない。油紙で巻いた簀桁ひとつと打解棒を背負って、十市は三年放ってあった伝右衛門の漉き舟の前に立つ。帳を付けているのは宇津木千枝、二十四。十六の年から紙に触り、十九の冬に寒晒しの川へ朝から三度入って、三度目に上がれなくなった。それから水を離れて帳へ回っている。その帳には、十年前は一軒あたり六百枚だった紙が、去年は千九百枚になったと書いてある。枚数だけが増えて、値は三年動いていない。十市は寄合で三文の根拠を問い、二十日を切って百枚を漉くと言う。そして漉き上げた一枚に、墨で自分の値を書いた。――一枚八文。受け取れぬと言われても値の書いてある一枚だけを置いて帰り、残りを村の四十六軒へ配って歩く。使った家が、使ったぶんだけ払えばいい。六十六の老紙漉き才蔵は紙の出来に容赦がなく、十九の三太は分からないことをその場で聞く。寺の過去帳は虫と灰汁で崩れかけ、山の楮は四十年切られていない。やがて漉き場の壁に、板が一枚打ちつけられる。自分の紙の値を書いた札を、誰でも貼っていい板である。三日に一枚のわりで札は増え、十八日そのまま止まり、また増えた。宿場で自分たちの紙が六文で売られていたと知った村が、この板の前でようやく自分の値を口にしはじめる。十一年前の大水の年に宇津木の家を潰さずに済ませた一冊の帳面が、そもそも誰の手から流れてきた紙だったのかも、この年に分かる。値を決める役を、ひとりに持たせるのをやめるまでの一年。【紙漉き十市 全十巻】一~四巻=村と領内/五~七巻=都と国/八~十巻=国の外。本巻は第一部の一冊目、シリーズの始まりです。ここから読めます。

