割り札は樫の薄板で十六枚ある。組の頭数と同じ数だ。表にその日潜る者の名を書き、裏に送りを回す者の名を書く。書くのは薄墨で、夕方に濡らした布で拭う。翌朝また書く。そういう決まりになっている。十六枚のうち一枚だけ、裏が拭われていない。的場慎之介の札の裏には濃い墨で岸と一字書いてあって、六年拭われたことがない。誰が書いたのかを岸辺は見ていない。書いてあるのを見たのは、書かれた次の朝だった。岸辺柊、二十七。塩見浦の入り江で手押しポンプを回している。毎朝、誰よりも先に艀へ渡って、把手を空で二十回まわす。空で回して、心棒の当たる音を聞く。音がひとつでも余計に混じっていれば、その日は潜らせない。六年でそういう朝が四度あった。四度とも組の者に嫌な顔をされ、四度とも心棒の当たりは実際に狂っていた。組の送りの定めは簡単で、水深一尋につき毎分四回と決まっている。十二尋なら四十八回。速く回せば継手が抜ける。遅ければ兜のなかの息が濁って、潜っている者が眠くなる。六年前、沈船の引き揚げで送気が止まった。潜っていたのは二人。上がってきたのは一人だった。その日が手押しポンプの初日だった二十一の岸辺は、定めの回転数を無視して速く回しつづけた。組の前で叱られた。回転の定めを破ったと言われて、それは事実だから頭を下げた。訊かれなかったことは、言わなかった。以来、港ではポンプ番なんて誰でもいい、腕の数だけあればいいと言われる。そして的場慎之介は六年、岸辺ひとりを名指しして、そのポンプでしか潜っていない。この夏の大仕事も、明日も、明後日も、割りは的場である。艀の修繕に来る船大工の轟五郎太は、四十五。六年前に沈んだ弟の轟六郎太の話を、的場慎之介ひとりの武勇伝として何度でも語る。その日ポンプを回していた者には、一言も触れない。的場慎之介、三十九。医者から心の臓の病で余命を告げられたことを、船大工の武勇伝話の合間に冗談の調子で挟んで、誰にも本気に取られないまま流してしまう男だった。六月の平均、三十七分。七月、三十四分。八月、三十一分。九月、二十七分。十月に入って四日、平均で二十四分。帳面の数字だけが、この人の潜れる深さが浅くなっていくのを黙って並べていく。名指しをやめるというのは、突き放すことなのか、放してやることなのか。BL時代小説・全10章完結。

