帳は縦に半分で分けてある。左の欄には語が並ぶ。ヨリス・ハウトマンが稲生三之丞に教えた語で、教えた日の日付が頭についている。右の欄には、その語を三之丞が商いの場で実際に訳した回数が、正の字で積まれていく。左が借り、右が貸し。表紙の裏に貸借と二字だけ墨で書いてあって、書いたのがハウトマンの手なので、貸の字の右の払いがどうしても短い。決まりは一つしかない。書くところを相手に見せる、というだけである。ハウトマンが左に語を足すときは三之丞が横に立ち、三之丞が右に正の字を足すときはハウトマンが立って見ている。八年、それを外したことがない。夜のうちに書くことも、月末にまとめて書くこともできた。しなかったのは、はじめの年にこの人が一度だけ、見ていないもの、貸し借りになりません、と言ったからだった。帳は帳場の机に開いたまま置いてある。荷方が通れば荷方の目に入り、役所の使いが来れば使いの目に入る。八年ぶんの借りと貸しが、この湊の建物では隠しようもなく積まれている。稲生三之丞、二十二。十四で通詞部屋の走り使いとして入って、そのまま八年いる。私はが言えない。子どものころ、私はと言い出すたびに何を言うつもりだったか忘れてしまうので、いつのまにか述語から先に出す癖がついた。左の欄は、一年目が四百三十二、二年目が三百八、三年目が二百十五、四年目が百四十、五年目が八十六、六年目が五十三、七年目が二十九。今年に入ってからは四つで、いちばん新しい行の日付は三月の初めのまま止まっている。教わる語が減るのはよいことだと、通詞部屋の誰もが言う。ある朝、ハウトマンは本通詞ではなく、見習いの三之丞を名指しで商談の通詞に立てる。本通詞の薬袋惟明は、この見習いの訳は遅い、間があきすぎると言う。そして三之丞を組合の咎めから守るための処置だと言って、見習いの期を年内で切る。本通詞の下限は千五百語。三之丞が持っているのは千二百六十七。双方の言葉のどちらにも当たる語が無い品目が出てきて、商談が止まる日が来る。無いなら作ればいい、とこの人は言う。港の外れの小屋。八年ぶんの精算。役所の書付に採られた、見習いが造った一語。貸し借りを終いにするというのは、そういう意味ですか。BL時代小説・全10章完結。

