耳に値はつかないと言い切られた門付けですが、路地で弾いていたら、点字楽譜の先生が三度聴いて十一か所を数えていてくれます

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一銭銅貨が二十五枚。五銭の白銅貨が九枚。十銭が四枚。合わせて三十八枚で一円十銭。今夜弾いたのは二十二回。鮫島楽、二十六。十二の年から柳町の路地に立って、勘定のほかに自分の一晩を確かめる手立てを持っていない。伯父は譜というものを一度も出さなかった。教えるという言葉も使わなかった。前に立って弾き、後ろで真似させ、違えば肘で小突く。それを二年やって伯父はいなくなり、以来十二年、鮫島に何かを教えた人間は一人もいない。ある日、下宿の帳場に葉書が一枚届く。巴町の点字楽譜講習所。差出人は郷原万理。冬の講習十二回の助手を頼みたいという用件だった。譜も読めない門付けを何のために呼ぶのか、と生徒たちが声を上げる。郷原万理、三十五。全盲。話す前に必ず部屋の人数と相手の位置を口に出して確かめる人で、説明を先にしない。その人が生徒たちの前でこう言った。去年の冬、柳町の裏通りで三度聴きました。十二月の八日と十九日と、年が明ける三日前。同じ一曲が三度とも違って、違ったのは十一か所です。鮫島のほうも覚えていた。あの晩、輪になった客の中に、一人だけ手拍子をしない男が立っていた。楽譜出版元の海老原が講習所へ来る。譜は写せる。刷れば千冊になる。あんたの耳は写せない。あんたが死んだらあんたと一緒に消える。消えるものに値はつかない。耳だけの奴に値なんかつかない。やがて海老原は家主と楽器屋にも手を回し、稽古場は使えなくなり、十七の生駒忍が借りていた手風琴まで引き上げられる。鮫島は盛り場の路地を稽古場の代わりにして、耳だけで覚えるやり方を教えはじめる。春、二人は生駒に一曲だけ点字楽譜で覚えさせ、演奏会の当日の代役として舞台へ押し込む段取りを組む。粒の揃った五人が先に弾き、三人目の途中から客席の椅子が鳴りはじめた舞台に、詰襟のままの十七が六番目で出ていく。郷原の稽古場の天袋には、十二年下ろしていない行李がある。中には、亡くなった師の割れた点字盤が入っている。出すつもりも捨てるつもりもない、とだけこの人は言う。一晩が一円十銭。教則本が一冊二円八十銭。紙一枚に五百七十六ます。十四年、鮫島は自分の音に値をつけたことがない。つけるのは、他人ではない。BL時代小説・全10章完結。
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    8月15日発売予定

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