入江の奥に石を積んだだけの粗末な港がある。突堤は二本あるが、北の一本は先が崩れたまま四年放ってあるので、船は南にしか着けない。朝、帳場の割り板に名と数が並ぶ。大鷹きよ、一。苫米地樹、九。八年、その並びは動いていない。苫米地樹、三十一。八年前の冬、先代の灯台守を焼いた三日あとの晩に、岬の突端から下りて、それきり坂を上がっていない。岩の上で、誰にも聞こえない声で、二度とあの灯には触らないと自分に言った。聞いた者がいない誓いほど、外しにくいものはない。港では数しか言わない。数を言えば話が終わるからだった。村では樹を「灯を捨てた人」と呼ぶ。最初にそう呼んだのは網元のきよで、三日で村じゅうに広まり、半年で子どもまで覚えた。樹は一度も言い返していない。晩夏の昼過ぎ、巡視官が港へ来る。この冬いっぱい、人の手で回す灯と、機械で回す灯を並べて較べる。十一月の朔から二月の晦日まで、毎晩。無灯の夜が一晩でもあれば、春に灯は機械へ替わり、灯台守の職は残らない。その日の夕方、苫米地岬が八年ぶりに港へ下りてくる。血の繋がらない弟で、二十で灯台を継ぎ、いま二十八になっている。冬の夜は十四時間を越える。灯芯は二刻に一度切らないと煤が伸びる。一人では通しで持たせられない。先代の点け方を体で覚えているのは兄さんだけです、と岬は言う。樹は断る。断られた相手は、今冬の割りだけを口で言い置いて帰る。十一月は四時五十分。十二月は四時三十七分。点けはじめは、どの月も刻の三分前。兄さんが港からでも見えるところに、毎晩、刻の三分前から。八年、一晩も落としていません。霧の匂い。芯を二分下げて、錘を一分緩める。誰の物か港の誰も知らない羅紗の外套。二十二年前の十一月の三晩。そして、機械室に誰も何も言わないまま増えていく、樹の背丈に合わせた棚と、寸法の合う手袋と、外套を掛けるための新しい釘が一本。北の浜から雇われてきた十九と十七の兄弟。港に立ちはじめる、兄は灯台の権利を取りに戻ったのだという噂。灯には触らない、切り方を見せるだけだ。自分の誓いに抜け道を作った男が、暴風で機械の止まった夜に何をするか。百二十晩。人手の列、無灯なし。BL時代小説・全10章完結。

