早埼島。本土の浦名から船で二時間半、船は十日に一度しか来ない。辞令に書かれた人口は四百二十七人。二十年前は六百といくらかいた。甘粕藍二、三十四。島の鍛冶屋である。十四の年に、浜の歯抜きの爺が死んで海へ捨てられた道具のうち、鉄でできていた鉗子だけを拾って帰った。それから二十年、島の歯を抜いてきた。免状はない。鉗子は自分で打つ。片方を作り、それに合わせてもう片方を作ると、噛み合いが一分も狂わない。抜いた本数だけを一年に一冊の帳面につけてきて、いま十九冊ある。六年前、この島に一度だけ渡った郡の歯科医が、巡回診療の名簿の「口中の心得ある者」の欄に、免状のないその名を書き足した。誰にも相談していない。その一行があるために、島には巡回の回数が振られなくなった。年に二度来るはずのものが、六年で三度しか来ていない。卜部拓、三十。今年から一年、この島に駐在する。島の言葉が聞き取れず、何度も訊き返し、詫びるときほど言葉が長い。昨年この島で処置を受けた者は、郡の控えでは九人。甘粕の帳面では四十七本。二つを並べて書ける紙は、郡のどこにもない。欄が無いものは、無いことになる。晩春から晩冬まで。BL時代小説・全10章完結。
