史上最年少の棋聖が、なぜか、いちばん目立たない記録係の俺を、名指しで指名した。霧島冬吾。盤の前では誰一人敵わないのに、盤を降りれば人の顔も名前も忘れてしまう天才。俺は望月湊、二十八歳。棋士になり損ねて、勝負のいちばん外側で棋譜を書きとめるだけの人間だ。記録なんて、誰が書いても同じ棋譜になる。それなのにあの人は、俺でなければ駄目だと言う。俺がめくる紙の音でなければ、盤に留まっていられないのだと。理由は、たぶん、気まぐれだ。天才の、ただの験担ぎ。俺は最後まで、知らなかった。あの人が、四年前に一度だけ、俺のめくる音で、将棋を辞めずに済んでいたことを。あの人が、それを、俺には一生、言わないつもりだということを。本作は東雲そらの「名前の残らない仕事」シリーズ。一話完結・どこからでも。

