東日本大震災はいかに演劇で表現されてきたのか。
2011年から2013年まで、震災発生からの3年間は、演劇にとってどのような時間で、そこで生み出された演劇は何を表現し、それはいかなる営みだったか。社会にとって演劇はどのような役割を担いえたのか。研究や批評は、それら表現をどのように捉えてきたのか。
演劇という窓から世界を覗き見て、時に身を乗り出して、そこから出て行こうとしながら、思索を止めないようにしてきた著者による、震災演劇論。
三条会、劇団四季、井上ひさし、青年劇場、福島の高校生たちの演劇を手がかりに、個別の記憶とさまざまな記録とのあいだを全8章で論じていく。
いずれ形を変えたり失われたりしてしまうかもしれない震災をめぐる記憶。
「演劇は――さまざまな表現は、数値等では測定できない、その時どきの、個別の感情や感覚や記憶を、何らかの形で世界にとどめる装置であり、それ自体がひとつのメディアとしても機能する。それらが上演される劇場空間は、演劇を通して、不特定多数の人びとが事態を共有しうる場となる」
そこではどう震災が伝えられ、それはどう未来に伝える足がかりとなっていくのだろうか。
演劇を愛するすべての人に。
付録として「震災関連演劇上演年譜稿──2011.3.11-2013.12.31」、「上演台本:福島県立いわき総合高校総合学科第十五期生アトリエ公演『失われた時を与えて』」収録。
【震災という未決着かつ現在進行形の問題に対するとき、演劇を媒介として、震災をめぐる記憶を──いずれ形を変えたり失われたりしてしまうかもしれない個別の記憶を、記録したり、他者に、別の時間に分有したりして、忘却への抵抗の一手とする。本書はそんな小さな試みである。】……「序 揺れ動いた社会と演劇──東日本大震災をめぐる表現の地平」より
