【内容紹介】大倉喜七郎の生涯と、彼が人生最後の記念碑としてつくりあげたホテルオークラの誕生秘話、そして経営を託された野田岩次郎との二人の約束からはじまる知られざる歴史と、脈々と続く熱き経営への思いがいま明かされる<本書より>・「ご苦労さまでございます」。総帥のまえに進みでて正座し、野田はそれだけいって頭を下げた。すると相手は無言で会釈した。その居住まいに、野田は財閥当主の貫禄を感じとった。父親が築いた財閥の既存企業にはそれほど興味を持つことがなく、思いつきで新しい事業に手をだして失敗することもあった喜七郎だが、おおいに執着する事業が一つあった。それがホテルである。・「野田君、わたしはいま日本を代表する迎賓ホテルをつくろうとしている。世界のどこにもない、日本らしい風格を備えたホテルだ。その社長になってくれないか」・「虎ノ門に新しくホテルをつくっている。帝国のライバルとなることをめざすホテルだ。そこの厨房にきてくれないか」・「プロモーション費などというのは一介の次長クラスが決めるものではない。おれが決めることだ。黒字がでるように収支をやりなおしてこい!」。牧野がしょげて退室しかけると、「ちょっと待て」と背中に声がかかる。「苦労をかけるね」。その一言が胸を打つ、そういうところがみごとな点だった。・「世界に打ってでて、オークラの理念と運営ノウハウをその地に根づかせる。それはまた東京の本丸の海外宣伝にも結びついていく。さらに社員スキルの国際化も図っていく」。そう野田は社員にむけて理念を発信して、海外展開の道筋を示した。この時点からホテルオークラのスローガンに「帝国ホテルに追いつけ」に加えて、「世界をめざせ」が掲げられることになった。・明治から大正、昭和に生きた大倉喜七郎と野田岩次郎は、気骨のある国際人だった。その二人が日本らしさを極限まで追求してつくりあげたホテルオークラは、たしかに世界に類のない日本独自のグランドホテルとなったし、運営ノウハウも開業から二十年ほどで世界的な評価を獲得するまでになった。それは日本が世界に提示した「グローバル」の一つの完成形だった。【目次】プロローグ 二人の邂逅第一章 破格の御曹司趣味に生きたバロン・オークラ父大倉喜八郎の猛烈人生嗣子・喜七郎の生き方ホテル事業への執着語り草となった川奈開発喜七郎とフランク・ロイド・ライト公職追放で文化活動に活路第二章 「帝国ホテルに追いつけ」が合言葉についに解除された公職追放不機嫌な表情が一変した大倉邸宅跡に建設を決意野田岩次郎が受けた一本の電話日本らしさを追求した国際的ホテル粋を集めた意匠デザイン第三章 虎ノ門に集った戦士たち初代支配人の蒲生恵一喜七郎に励まされた大崎磐夫報道関係者に愛された橋本保雄料理人たちの強烈なライバル意識第四章 野田岩次郎の経営術ベテランよりも若手の伸びしろトップダウンであるべき理由「卵一ついくら」の禅問答巧みな人心掌握術第五章 東京五輪と大阪万博、そして海外進出へ東京オリンピックの期待はずれ大阪万博、そして「二つのショック」大量消費の時代は終わった、海外進出のパイオニア米欧主要誌の評価と英国人ジャーナリストだれが呼んだか「ホテル御三家」エピローグ 時代は移って開業翌年に逝った大倉喜七郎海外から噴出した「建替え反対」の声全面建替え決断の背景外資系とどう競っていくのか世界に通用する日本らしさと老舗の矜持