徳川時代、朝鮮国からの外交使節団である、通信使が12回来日した。第1回目の来日は1607年で、徳川家康(1543-1616)が江戸に幕府を開いた4年後のことである。総員504人で編成されたこの通信使は、先の戦役によって破綻した両国の関係を修復し、家康が望む「善隣友好」の時代を象徴する平和の使節団として重要な意味をもっていた。 しかし朝鮮との講和交渉から通信使来日に至るまでの様々な交渉を行ったのは、 幕府ではなく、中世から日朝間の通交貿易を独占してきた対馬宗氏である。
徳川時代(1603-1867)における日本と朝鮮の外交・貿易について、 常に主導的立場から両国の関係維持につとめた対馬藩、あるいはその領主である大名宗氏の動向に焦点をあててみていく。
【目次:】
序論
第一部 近世日朝通交貿易体制の確立
第一章 日朝関係の再開と対馬
第二章 近世初頭の貿易仕法と取引品目
第三章 渡航船増加工作とその種類
第四章 使船乗員の実態
第五章 日朝外交体制の確立
第六章 「兼帯の制」成立と貿易仕法の改変
第七章 草梁倭館の設置と機能
第八章 館守『毎日記』からみた朝鮮渡航船 宝永四・五・六年の航行実態
第二部 対馬藩の貿易経営
第九章 元方役の設置と私貿易の藩営化
第十章 貿易帳簿からみた私貿易の数量的考察
第十一章 輸出銀をめぐる諸問題
第一 貨幣改鋳と日朝交易銀の変遷
第二 銀輸出高の動向と幕府の貿易政策
第十二章 輸出銅の調達
第十三章 人参の国内販売
第十四章 対馬藩京都藩邸における白糸・絹織物の販売
補論一 貿易商人「六十人」について
補論二 「鎖国」成立期日朝貿易に関する一史料
結語
あとがき
索引(人名・事項・史料)
表図目録
※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。