【内容紹介】
この本では、人生を悩み抜いた天才小説家・芥川龍之介が作品の中に残した名言を、動物たちの2コマ漫画とともに紹介します。名言は読みやすいように現代かなづかいに改めています。また、漢字をひらがなにしたり、現在よく使われる感じに置き換えたりしています。
【著者紹介】
[企画・文]ペズル
編集ライター。著書に『孔子先生が教えるこども論語』、『もしも虫と話せたら』、『もしも恐竜と話せたら』(以上プレジデント社)、『366日のにゃん言葉』、『物語のある鉱物図鑑』(以上三才ブックス)などがある。
[イラスト]aqinasu
脱サラ僧侶。世を儚んで20年近く会社勤めをしたのち出家。今は土弄りに精を出しイラストを描く日々に満足を得る。あと、旅行が好き。
【紹介する名言の一部】
◯阿呆(あほう)はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。 『河童』
◯我々の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我々の好悪(こうお)である。あるいは我々の快不快である。 『侏儒の言葉』
◯後で考えて、ばかばかしいと思うことは、たいてい酔った時にしたことばかりである。 『ひょっとこ』
◯罰せられぬことほど苦しい罰はない。 『侏儒の言葉(遺稿)』
◯どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。 『侏儒の言葉』
◯互いに愛し合うものは苦しめ合う 『或阿呆の一生』
◯人間は、時として、みたされるかみたされないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。 『芋粥』
◯人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。 『侏儒の言葉』
◯もし憎み切れるとすれば、もっとしあわせになっているでしょう。 『二人小町』
◯僕は屈辱を受けた時、なぜか急には不快にはならぬ。が、かれこれ一時間ほどすると、だんだん不快になるのを常としている。 『僕は』
◯我々は我々自身のあてにならないことを、痛切に知っておく必要がある。実際それを知っているもののみが、幾分でもあてになるのだ。 『首が落ちた話』
◯天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心(いごころ)の好い名声」を与えられることである。 『侏儒の言葉』
◯量的向上はたいてい質的低下である。 『文芸的な、あまりに文芸的な』
◯輿論(よろん)は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である。 『侏儒の言葉』
◯天国は「しないことの後悔」に充ち満ちている。ちょうど地獄は炎の中に「したことの後悔」を広げているように。 『文芸的な、余りに文芸的な』
◯ばかがるのが一番ばかだね。 『早春』
など