【電子版のご注意事項】※一部の記事、画像、広告、付録が含まれていない、または画像が修正されている場合があります。※応募券、ハガキなどはご利用いただけません。※掲載時の商品やサービスは、時間の経過にともない提供が終了している場合があります。以上、あらかじめご了承の上お楽しみください。完治しない病・多発性骨髄腫の宮川花子さんの在宅での闘病。それを献身的に支える大助さんの献身的な介護の日々を伝える感動の書「ラジオ深夜便」で紹介されました(2024年8月3日) 「徹子の部屋」で紹介されました(2024年9月17日) 血液のがん・多発性骨髄腫に夫婦で立ち向かう宮川大助・花子の厳しい病状もつらい介護も笑いに変えてしまう心温まる闘病介護エッセイ(推薦文)花子さんと同じ多発性骨髄腫と闘う俳優・佐野史郎さんからの帯コメントは「おもしろがれば乗り越えられる!! 愛あふれる夫婦漫才、救いのメッセージ」(内容紹介) 宮川花子さんが2018年に突然余命半年と宣告され2019年には多発性骨髄腫の診断を受けて記者会見。いったんは寛解しました。 本書ではその9か月後に再発した多発性骨髄腫と次から次へと起こる新たな症状との不屈の闘い、それを愛情深く支え続ける大助さんの老老介護が何一つ隠すことなくつづられています。 2022年10月、心肺停止寸前・意識不明の状態で病院へ運び込まれたことがきっかけで、お二人は新たな決意をします。 花子さんは自分の病気と一生つきあっていく覚悟をし、60代以降の発症率が高くなるのにあまり知られていない多発性骨髄腫のことを正しく伝えようと心に決めます。 大助さんはご自身も脊椎管狭窄症、ボルトも2本入った状態ですが、毎晩介護ベッドの脇のフローリングで眠り、おむつ替えからバルーンカテーテルや摘便など、なかなかそこまではできない内容の介護を始め、ずっと続けています。 そして新たに車椅子での漫才復帰を果たします。かつてはもう一度センターマイクに立ちたいと願いましたが、いま車椅子で漫才をする想いとはどんなものでしょうか? そして夫婦漫才の第一人者がたどり着いた夫婦の絆とは? 花子さんの主治医である南和広域医療企業団吉野病院の天野逸人院長によるわかりやすい多発性骨髄腫の解説も掲載されています。 宮川大助・花子を応援してきた方はもちろんのこと、ご自身が病気と闘っていらっしゃる方、介護をされている方にぜひご一読いただきたい、涙と笑いにあふれた内容です。(目次)序章 六年ぶりの「笑点」宮川大助・花子の人生劇場年表第一章 余命半年と宣告されて第二章 大助・花子の波乱万丈!続・闘病記第三章 なにわ介護男子胸のうち~大助と花子の ぶっちゃけトーク~第四章 主治医・天野先生に聞く ~多発性骨髄腫のキホンと花子さんの本当の姿~第五章 今までと、これからと宮川大助・花子(ミヤガワダイスケハナコ):1979年11月結成の日本を代表する、しゃべくり漫才を代表する夫婦漫才のコンビ。宮川大助 1949年鳥取県生まれ。4代目宮川左近に入門。宮川花子 1954年大阪市生まれ。チャンバラトリオに入門。1990年「第19回上方お笑い大賞」大賞受賞。2011年「第61回文部科学大臣賞大衆芸能部門「文化庁芸術選奨」。2017年「紫綬褒章」大助・花子同時受賞。2019年に多発性骨髄腫で闘病中である旨を公表。現在も大助の献身的なサポートとともに闘病を続けている。書籍に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)など。