日米を戦争へと導いたのはこの女傑だった。
中華民国総統・蒋介石夫人として外交の表舞台に立ち、流暢な英語を駆使して、日本軍の横暴を米国に訴え続けた「宋家の三姉妹」の三女・美齢。独裁的な夫を陰で支え、米国の支援を引き出して対日開戦へと導いた彼女は、国共内戦に敗れて台湾に移り住んで以降、長らく不遇に甘んじることになった。
さらに米国移住後、百五歳でニューヨークの豪邸で亡くなる前に、大切にしていた数百着もの高級チャイナドレスを切り刻んで捨てていたという。その背景に何があったのか──。
〈ここに、興味深い資料がある。宋美齢演説の翌月、戦前の内閣情報部が「極秘」とした記録資料……の中に、次のような解説が付けられている。
支那事変に関する国際放送は我が国からも再三行われたが、未だ曾て斯くの如き待遇を受けたことはない。……その意味でこの放送は、現在においておよそ放送のもたらし得る最大の効果を挙げ得たものといい得るであろう。それだけに日本に与えた損害は大きく、これを一転機として米国の対日感情が悪化し、それが政府に反映して来たところへ、南京の爆撃によって更に拍車を加え、形勢がついに一転したと見るべきであろう。〉(「第一章 日中開戦直後の対米放送」より抜粋)
米国在住のノンフィクション作家が日・米・台を徹底取材した傑作評伝。
(底本 2024年5月発売作品)