時代は明治も終わる頃。
日露戦争に勝利した日本は特需に沸き、国中が産業立国を目指し、人々は立身出世の志気に沸いていました。
そんな中、静かに「自分とは何ぞや」と問いかけ、ひとつの生き方を見出した人、それが西田天香でした。
「私は最近、すごい人物に出会いました。彼は人々の下坐に下りて懺悔奉仕し、 決して報酬を受け取らないのです。なりはあたかも労働者風ですが、禅僧のように凛としています。 現代まれに見る、見上げた人物です。彼の生き方を知って、私は拙書『病間録』をまだまだ甘く恥ずかしいと思い、焼き捨てたいほどです」
思想家として有名な綱島梁川は、このように西田天香を評し、早稲田大学教授の中桐確太郎や、『自殺論』で一世風靡した評論家の魚住影雄(折蘆)、社会主義者の小田頼造や、当代一流の徳富蘆花などに、西田天香の生き方を熱く語っていました。
「下坐に下りる」とは、人がやりたくないことを、自ら進んで行うことです。
天香さんは、家々を回って庭の掃除や便所掃除をし、何も所有しない無一物所有の生き方を貫きました。
そんな彼の生き方に共感した人に、文学者の倉田百三、哲学者の和辻哲郎や西田幾太郎、高名な寺の官長、大学の教授や経営者などなど、実に様々な人が教えを乞いに集りました。
そんな人たちの輪が大きくなり、京都に「一燈園」が生まれました。
戦争と関東大震災、そして終戦を経て、社会不安が蔓延しつつも復興に人々が立ち上がっていた時代、静かに、謙虚に、自らを信じ、人々の愛の中で生きる天香さんの生き方は、世の中に、もうひとつの大きなうねりを作っていったのです。
本書では、天香さんをはじめ、三上和志さんなど一燈園の同人たちの生き方が描かれています。
その生き方とは、「許されて生きる」ということ。
金品や名誉を追い求め、持てる者が強いという時代は、もう終わりを迎えようとしています。
これからは、持たざる者の豊かさを追求する時代です。
本書は、そのことに気づかれた人のためのものであり、きっと深く心に響く1冊になるでしょう。