半数以上が治る病気になったとはいえ、がんは3人に1人が亡くなると言われ、死のイメージがまだ強い。告知の仕方によっては、がん患者は「自分の死」に直面し、不安から冷静さを失ってうつ状態になってもおかしくない「限界状況」に陥る。医師はそういうデリケートな心理状態の患者に対し、最善の配慮ができているのだろうか?
日本の大病院では、医師が多忙すぎることもあり、患者にきめ細かい配慮ができなくなっている。電子カルテやCT画像ばかり見て、ほとんど話もできない「3分診療」で、患者を傷つける言動や配慮を欠いた余命宣告がなされることもある。医師は患者と十分距離を置き、感情移入せず、医学的事実のみを冷静に伝え、すべて自己決定で医療がなされるべきという米国の教科書をモデルにしているのかもしれない。
たしかに、米国の医学は今も最先端であり、がん医療も「いい意味での合理主義」に貫かれている。学ぶ点はまだまだ多い。しかし、シビアな余命宣告と手術リスクを何十も書き連ねた承諾書に象徴される医師と患者のドライな関係は、医師の大半が訴訟を経験する社会には合っているのかもしれないが、場との調和を重視し、自己主張せず、告知に衝撃を受けて、うつ病や自殺まで追い込まれがちな日本の患者に適合しているとは到底思われない。
本書では、45年間に1万人以上のがん患者を診てきた専門医が、長年の臨床経験と思索をもとに、がん告知、余命告知、治療の選択、がん患者の心理、生命の予測不能性、医師と患者の望ましい関係など、がん臨床の主要テーマを語る。死を前にした患者との胸に響くエピソードを交え、森田療法や西田幾多郎の哲学も参照しながら、医師、患者、家族とも悔いのない「日本人に合ったがん医療」のあり方を追求する。