障害者なんて、いないほうがいいのでしょうか?
難病をかかえ、人工呼吸器とともに生きる著者からのメッセージ。
人は、ただ地面が盛り上がっただけの山の景色に感動できるのだから、
同じ人間である障害者に感動できないはずがない。必ずそこに価値を見いだせるはず――。
重度障害者として暮らす著者が、その半生をふりかえりながら、
障害とはなにか、人間の価値とはなにかを問いかけます。
著者は東京都女性活躍推進大賞を受賞し、
障害者問題のオピニオンリーダーとしても活躍中。
「合理的配慮」など障害者理解に欠かせないテーマも取り上げ、
「共に生きる社会」をみんなでいっしょに考えるための1冊です。
(本文より)
わたしは生まれつき、脊髄性筋萎縮症という、とてもむずかしい名前の病気にかかっています。
どんな病気なのか、かんたんに言うと、体の筋肉がだんだんおとろえていく病気です。
みんなが当たり前のようにしている、かけっこも、ボール投げも、リコーダーを吹くことも、
そう、呼吸をすることだって、ぜんぶ、筋肉がないとできません。
その筋肉がだんだんなくなっていく病気です。
だから、みんなができることが、わたしにはできません。
小さなころは自分の足で立って歩けたけど、今は車いすを使わないと動けません。
本のページをめくるのだって、だれかの助けがないとむずかしい。
息をすることも、人工呼吸器という機械を使わないと、できないのです。
わたしは、重度障害者と呼ばれています。重い、障害のある、人。
たしかにそうかもしれません。
でもね、じつは、わたしに障害があるのは、あなたのせいなのです。
そう言ったら、おどろきますか?