市長になったのは、障害を持った弟に対する冷たい社会への「復讐」だったーー。
就任までの経緯にはじまり、
明石市で実行した「日本初」の政策の数々、市民の「生きやすさ」とまちの「経済」にもたらした効果、
また「明石でできることは全国でもできる」を合言葉に、その実現に向けて実行した「お金と組織の大改革」の舞台裏まで。
コロナ禍で見えた自治体から国を変える可能性、
そして、日本の政治をあきらめてしまっていたわたしたちへのメッセージ。
いま、もっともその動きを注視される政治家、泉房穂がまとめたのは、
「社会の変え方」そのものでした。
<出版社より>
版元は明石市の出版社ライツ社です。
実際に明石で暮らすいち市民だからこそできる、当事者目線からの編集を行いました。
2011年、泉さん初めての明石市長選。
対立候補は、自民党と民主党が推薦、兵庫県知事も支援、医師会、商工会議所、商店街連合会、労働組合など業界団体のほとんどと、市議会の全会派が全面支援を表明していました。
つまり、政界や業界の組織票はすべて相手方に回っていました。
一方の泉さんは、無所属です。出馬会見で、記者から問われました。「相手陣営は盤石です。政党も業界団体も固めて、知事の支援も受けています。あなたに支持母体はありますか?」。
この質問に泉さんは、はっきりと答えました。
「支持母体は市民だけです。でも、それで十分だと思っています」と。記者やカメラマンは薄ら笑いを浮かべました。
形式上、重ねて「勝算は?」と質問が続けられ、再度、泉さんははっきりと答えました。
「当然あります。勝てますし、必ず勝ちます。それが明石のまちと市民のためだからです」。
そう言って会見を終えたのが、今から12年前のことです。
市長選は一騎打ちの激戦となりました。
結果はわずか69票差。相手の得票数53993票に対し、54062票。
1人ひとりの「1票」が積み重なり、政党や業界の壁を破り、市民とともに勝ち切りました。
69票という僅差は、たった35人が態度を変えるだけでひっくり返ります。人口30万人近くの都市で、たった1クラス分の差です。
「泉さんは、わしが通してやったんや」と言い合う市民の声が市内のいたるところで聞かれました。
2011年4月24日、明石市民の1票がなければ、今日の明石市はありません。
市政の転換も「5つの無料化」も「全国初の施策」も「10年連続の人口増」も実現していません。きっとこの本が書かれることもなかったでしょう。
おそらく全国でも、いまの明石市民ほど、自分の1票の持つ力を信じている市民はいないのではないでしょうか。
あの日私たちは、私たちの手で、私たちの未来を変えたのです。
本書に泉さんが綴ったのは、こうして明石市民が選んだ未来にどんなことが起こったのか。
示してくれたのは、「政治を変えることができたら、私たちの生活は変わる」という事実です。
明石市民が感じている政治への希望を全国のみなさんにお届けできたらと思っています。
そして、明石市の現実が全国どこのまちにとっても、あたりまえのことになればと願っています。
ご期待ください。