戦国時代きっての文化人大名・細川幽斎の長子であり、信長・秀吉・家康という天下取りの主役三人に仕え、肥後熊本藩54万石の礎を築いた細川忠興。文武両道の名将ながら、賤ケ岳七本槍のような華麗な武功談もなく、文化人としても父親の陰に隠れがちである。しかし、本能寺の変や関ヶ原の合戦といった重大な転機に誤ることなく進退し、ついに細川家を磐石たらしめた器量にはなみなみならぬものがあるといえる。本能寺の変では、妻の玉子(細川ガラシャ)が明智光秀の娘であるにもかかわらず、かえって愛妻を幽閉して秀吉に従った。関ヶ原の合戦では、玉子が西軍の人質になる前に自害、さらに戦後は二人の息子が細川家を去るという悲劇に見舞われる。武功を重ね、千利休の高弟でもあった男は、妻や子を失うという犠牲を払いながら、厳しい現実のなかを生き抜いたのである。乱世から太平の世へと激変する時代背景を描きながら、細川忠興の生涯をたどった評伝小説。