鎖国下の100万都市江戸を襲うコレラ、インフル八百八町を救うため、幕府が講じたあの手、この手「度重なるパンデミックに対する江戸幕府の危機対応」をテーマに、様々なエピソードを通して幕府の危機管理(特に経済政策や福祉対策)の実際を解説します。鎖国下の日本にも、長崎の出島を通してコレラやインフルエンザといった海外からの感染症が入り込み、パンデミックとなりました。特に、人口過密な大都市江戸での感染症大流行は、多くの人命を奪い、経済を大きく停滞させることに繋がりかねないものでした。パンデミック発生に対し、江戸幕府はどのように対応したのか?実は幕府には、感染症の流行だけでなく地震、火災、水害、飢饉など江戸を襲った度重なる危機のなかで蓄積された危機管理のノウハウがありました。医学的な対応は現代とは全く異なりますが、当時世界最大の都市だった江戸の経済対策や被災者(住民)の救援に関しては、現代に通じる対策が講じられていたのです。コレラと安政江戸地震に見舞われた幕末は、東日本大震災後に新型コロナウイルスに襲われた現代と非常に似ています。新型コロナ禍を乗り越えて、経済機能を復活・復興させていくためのヒントが、江戸時代に意外なほど転がっているのです。