※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。この本は大阪府の保健所で働いていた、また、今も働いている保健師たちの記録です。 保健師は150人(1957年)から、最高時348人(1981年)、現在は258人(2005年)となっています。保健所は20保健所2支所(1955年)から、最高時24保健所6支所(1980年)、現在は14保健所のみになりました。まさに社会の情勢を映し出した歴史そのものです。都市に人口が集中し、高度経済成長から公害の発生、革新府政の誕生、地方財政危機、行政改革、規制緩和による公的サービスの縮小から現在へつながっています。 私たちは、1994年、これらの歴史の中での苦しい思いを『保健婦のめ ―見た・飛び込んだ・大阪のくらし―』(やどかり出版)にまとめ自費出版しました。そのなかで、保健師が頑張っているだけでは府民の生活は楽にならず、治療法もない難病も増えている実態を明らかにしています。府民の生活に「ぴったり寄り添う活動」の原稿を50人もの保健師が寄せています。当時、府の保健師が300名だったことを考えると、その活動の広さ、深さと意気込みを感じます。社会病理としての暮らしの実態から、そこに広がっている貧困は経済ばかりではなく、こころの貧困も生み出し、社会から孤立していく家族像をも鮮明にしています。保健師の公私の研究会も発展しました。 現在の格差社会は、家庭や地域をばらばらにし、人間性を破壊させ、多くの「いのち」を軽んじています。この生活の危機の中で「安全と安心の社会」がなくなり、一方で病院の倒産、保健所の統廃合が進んでいます。 これから、公衆衛生の道は途絶えるのでしょうか、またはまったく違う道になっていくのでしょうか。それとも、私たちの力でいきいきとした「公衆衛生活動」をとりもどすことができるのでしょうか。 保健師の「家庭訪問」は、専門職の中でも「公的に保障された」すばらしい機能です。この機能が与えられているのは、消防士、警察官など数少ない専門職だけです。 今回、保健師の有志で「家庭訪問」など、地域に出かけて行う「知らせる」「支える」「育てる」の活動をまとめてみました。自由参加の「大阪府保健所の保健師活動を語り継ぐ会」が編集する体験集のため、記述は部分的、主観的な部分もあり、テーマも歴史から健康課題まで多様ではありますが、「素人集団」の発行物としてお許しください。 ここに貫いているのは、いつの時代も「住民の困りごとに本気で向き合った」保健師の心意気そのものです。―はじめにより―