現代、「密通」を不倫と解釈している人が多いが、江戸時代においてはその定義は厳格で、
正式な婚姻関係にない男女の性行為はすべて密通だった。
しかも、密通に対する処罰はきびしかった。多くの場合、死刑になった。
ただし、これはあくまで建前である。
密通を町奉行に訴え出る人はほとんどいなかった。
そのため、多くの男女は平気で密通を享楽していた。
江戸時代の武士の妻はみな貞淑だったと信じている人は多い。
「武士の妻はつねに懐剣をふところに忍ばせており、操が守れないような状況になれば喉を突いて自害した。」などと解説した本すらある。
しかし、実態はかなり異なり、武士の妻にも密通は少なくなかった。 (本文より)