死んだときだけが、お寺の出番ではありません。
この生きづらさを乗り越えるための寺院・僧侶との正しい付き合い方を探る。
――モノとカネの神を排除したところに究極の一体感が蘇生する――
自分の「お気持ち」は、まず一人ひとりの責任で、推し量ってみよう。
政治も企業も責任逃れと自己弁護がうまくなりすぎた情報過多社会で、
縁のある人の死にふれる葬儀のときくらいは、
「インターネットに相場が書いてあったから」とか「目安料金があったから」ではなく、
数値に表れない「お気持ち」を推し量るということに挑戦してみてもいいのではないか。
噂の数値に左右されず、個々人から発露する「お気持ち」で、
人が供養され送り出される社会になったら、何かが変わっていく気がする。 <本文より>