竹久夢二(1884-1934年)は、「夢二式美人」と呼ばれる美人画で今日も人気が高い。『夢二画集 春の巻』(1909年)がベストセラーとなって一躍その名を知られ、「大正ロマン」を象徴する存在となった夢二は、その他にも児童向け雑誌や詩文の挿絵を描き、書籍の装丁、広告をはじめとするグラフィックデザイン、雑貨や服飾のデザインを手がけ、「民衆芸術」と「産業美術」に数々の功績を残した。さらには詩や童話といった文筆活動も積極的に行い、詩「宵待草」(1918年)は曲を付されて大衆歌として日本全国に及ぶヒットとなる。
その夢二が晩年になって「外遊」を行ったことは、あまり知られていない。1931年5月に出国し、アメリカ西海岸に到着した夢二は、慣れない異国に戸惑いながらも翌1932年9月にはヨーロッパに渡り、ドイツ、チェコ、オーストリア、フランス、スイスといった国をまわった。折しも、ナチスが政権を獲得した翌1933年のベルリンを体験した夢二は、同年9月に帰国したあと、10月には台湾に向かう。翌月帰国するが体調をくずし、長野県の八ケ岳山麓にある富士見高原療養所で療養したものの、翌1934年9月1日に死去する。
みずからの死期を知っていたかのように最晩年になって集中的に敢行された外遊に、夢二は何を求め、実際に何を見たのか? そして、49歳の早すぎる死を迎えなかったとしたら、外遊から得たものをいかなる形で日本に活かそうとしたのか?――今も愛される画家が生涯最後に残した謎は、稀代の思想史家である著者のライフワークとなった。病魔に冒され、苦しい日々を送る中で全精力を費やした原稿は、完成稿に近い姿でわれわれのもとに残された。この遺稿を著者の二人の高弟による精緻な調査・編集を経て、ようやく1冊の書物としてお届けする。多数の図版とともに甦る、晩年の夢二が描いた軌跡。
[本書の内容]
はじめに
第一章 外遊に至る道
1 誕生から上京まで
2 キリスト教と社会主義
3 『夢二画集』の成功
4 関東大震災
第二章 アメリカ合衆国の世界
1 多様なハワイ
2 地震と恐慌のサンフランシスコ
3 別荘地帯ポイント・ロボス
4 恐慌下のロスアンゼルス
5 アメリカ滞在をめぐって
第三章 あこがれのヨーロッパ
1 ヨーロッパ上陸
2 芸術の都パリ
3 織物と戦争のジュネーヴ
4 ベルリンとヒトラー
第四章 最後の旅・台湾
1 日本最初の植民地
2 昇る武二と沈む夢二
3 帰国、そして夢二の死
夢二の「異国」──まとめにかえて
文献一覧
エッセイ(廣田真智子)
解 題(高木博志・長志珠絵)