熊本県は古来より九州の中心地で、本来ならば福岡よりも大きな存在だった
はずなのに、現在では大差を付けられている。その大きな要因が度重なる「災
害」と「戦争」である。
熊本には、実に数万年前から多数の人間が暮らしていた。ところが縄文時代
に鬼界カルデラ(現在の鹿児島県大隅海峡にあるカルデラ)の大噴火で文字通
り「絶滅」した。だがその後、豊かな土地なだけに新たな「入植者」を向かえ
て再び繁栄した。ところが今度は大和朝廷(王権)の勢力に敗れて滅亡する。
平安時代以降は多くの武家が栄えたが、小勢力が乱立し、戦国時代までに地元
勢力はほぼ全滅した。近世には加藤氏や細川氏が熊本藩をつくり上げたが、明
治初期に西南戦争の主戦場になり、またもほとんどすべてが「焼失」してしま
う。このように熊本は何度も「リセット」を余儀なくされ、その都度復活して
きたのである。ただそのせいで、その実力の高さや土地の豊かさに比べ、富と
歴史の蓄積には預かれなかった。
こうした事実を鑑みれば熊本県は、何度も蘇る不屈の地域なのである。古来
「火の国」と呼ばれるように、まさに炎をまとう不死鳥のごとき精神を、熊本
県は持っているといってもいいだろう。
そんな熊本県は今、新たな時代を迎えようとしている。熊本市では、長年の
懸案であった熊本駅周辺の再開発が軌道に乗り、本来の中心地である桜町など
も大きく変化しつつある。熊本市内とその周辺地域では、ベッドタウンが次々
と造成され、熊本都市圏は大きく発展しようとしている。だが、その他の地域
に目を向けると、八代、阿蘇、人吉では災害復興の遅れや熊本市へのストロー
現象による人口減少に苦しんでいる、水俣は産業が減少し、天草は観光資源を
活かし切れないなど、どこも難題に直面している。さらに県全体でいえば、災
害復興と人口減少問題のダブルパンチに見舞われ、かなりの苦境にある。
果たして熊本県は今度も復活できるのだろうか? その答えを見つけるため、
我々は県内各地を取材してまわり、多くの資料も分析した。そこから見えてく
る熊本県の本当の課題と未来への可能性とは?