宮城県はおよそ東北らしくない県である。
東北人気質といえば、口下手、根暗など、あまりスマートではない。
対して宮城県民は流行に敏感、個人主義でプライドも高いと華やかだ。
こうした同じ東北人にしてあからさまな気質の違いには、歴史と仙台の存在が強く関係している。
伊達藩では華やかな気風が領内に行き渡っていた。農民にも比較的自由が与えられ、それが人々の独立心や気位の高さを育んだ。
そして明治以降、仙台は東北の中心都市となり、宮城は東北6県で格上の存在と見られるようになった。
というわけで、宮城における仙台の存在感は圧倒的だ。
県内は仙台とその他で二極化され、優遇されるのはいつも仙台。
ただそんな過剰な一極集中により、県内の地域間格差は確実に広がっている。
本書は宮城県内の不公平感にスポットを当て、仙台市以下、仙北、仙南、
そして復興続く三陸のさまざまな問題点を取り上げ、伊達イズムが根付く宮城県の本質を暴き出す!