完全に勘違いされている!
街というのは、何かしらのイメージを持たれるものだ。
世田谷区もその例に漏れず、しかも強固なイメージが存在している。
世田谷区は、江戸時代に多摩川の水を江戸市中に引き込むための
灌漑事業(玉川上水)が行われたことによって開発され、江戸の農産地帯として発展。
やがて1964年の東京オリンピックを契機に高度経済成長の流れに乗って、
農地の多くが宅地として開発され、世田谷は都心に近い郊外の住宅街に変貌した。
その住宅街の一部は、成城を筆頭にいわゆる「高級住宅街」と化していったが、
この高級住宅街というのが大きなポイントだった。
この印象がとにかく強過ぎるせいで、「世田谷=金持ち」のレッテルを貼られてしまったのだ。
そのほかに、世間一般の人々が世田谷を表現する言葉として、
「高級」「ハイソ」「セレブ」「オシャレ」などがある。
そのどれもが、聞くと思わず背中がムズがゆくなるくらいの「ゴマスリ言葉」ばかりだ。
内心では「違うのに~」と歯噛みする世田谷区民だって大勢いるのだ。
そこで、世田谷区の高級幻想の破壊を前提にした上で、東急と小田急という世田谷路線の二大巨頭を軸に、
さまざまな「対決」の図式を提示しながら、世田谷区という地域と、そこに住む人々を分析。
世田谷区が本当に進むべき、あるべき姿を追求していこうと思う。