黒船の来航以降、幕府は次々と起こる災難に対応が出来ないほど、厳しい状況におかれていた。
それは伊予国新居にある別子銅山にも影響を及ぼした。
百七十年にわたり、銅山稼業を営む御用達商人「泉屋」は、
採掘の行き詰まりと幕府が銅の海外輸出を禁止したために販路が減り、多額の負債を抱えていた。
おまけに給金が滞った鉱夫たちの不満が高まり、泉屋の奉公人広瀬義右衛門は窮地に陥る。
黒船来航で大きく変わる世の中。
それは銅山を運営する住友「泉屋」にも……。
一六九〇年に発見され、二百八十三年にわたり
日本の貿易や近代化に大きく貢献した銅山の歴史。