現実を撮っても、真実は写らない。写真は現実から何かを奪っている。
都市を撮り続ける写真家と、写真の最先端を読み解く評論家。
「撮ること=見ること」という視点から、写真の《正体》に対話で迫る。
タカザワ「すぐれた写真家は自分自身の写真史を持っている」、金村「写真って言葉ですよ。言葉を誘発します」
タカザワ「写真家の見方っておもしろい!」、金村「この歳になって、真実に気がつきたくなかったなって(笑)」
写真の「上手/下手」、写真を「撮る/撮らない」、写真家の「純粋さ/仕事」、写真家の「正解/誤解」。
写真の《歴史》を象るものとは。講義は「芸術か、記録か」の範疇を超えた――。
○装幀・デザイン=大原大次郎、宮添浩司
<目 次>
第一講 モダニズム写真の源流
ウジェーヌ・アッジェ、ベレニス・アボット、ウォーカー・エヴァンス
第二講 芸術写真か、写真芸術か
アルフレッド・スティーグリッツ、荒木経惟、1970年代の自主ギャラリーの作家たち
第三講 スナップショットの輪廻転生
アンリ・カルティエ=ブレッソン、森山大道、牛腸茂雄
第四講 リアリズムとは何か
安井仲治、土門拳、ダイアン・アーバス
第五講 アメリカン・ドキュメンタリーと日本
ロバート・フランク、鈴木清、春日昌昭
第六講 ニューヨーク近代美術館の“ドキュメンタリー”
リー・フリードランダー、ミラーズ・アンド・ウインドウズ、ゲイリー・ウィノグランド
第七講 商業写真と作家主義
アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、篠山紀信
第八講 写真はすべて平面である
桑原甲子雄、中平卓馬、ルイス・ボルツ、渡辺兼人
第九講 現代美術の中の凶暴な写真
ベッヒャー夫妻、深瀬昌久、ウィリアム・エグルストン
最終講 虫喰いの写真史から立ち上がる「新しい写真」
<著者について>
金村 修(かねむら・おさむ)
1964年、東京都生まれ。写真家。20代半ばまでミュージシャンを志す。1989年、東京綜合写真専門学校に入学。タブロイド紙配達のアルバイトをしながら、都市の写真を撮り始める。在学中の92年、オランダの写真展「ロッテルダム・フォト・ビエンナーレ」に作品が選出される。93年、東京綜合写真専門学校研究科を卒業。同年に最初の個展を開催する。95年最初の写真集『Crash landing』を刊行。96年、ニューヨーク近代美術館が行なった展覧会「New Photography 12」に「世界に注目される6人の写真家」のうちの一人として選ばれる。97年、東川町国際写真フェスティバル新人作家賞、日本写真協会新人賞受賞。2000年、史上2番目の若さで、土門拳賞を受賞。14年、伊奈信男賞を受賞。
タカザワケンジ
1968年、群馬県生まれ。写真評論家。91年、早稲田大学第一文学部卒業。「アサヒカメラ」「IMA」「PHaTPHOTO」などの写真雑誌に寄稿。評論のほか、写真家への取材、写真集の編集構成、国内外の写真展やフォトアートフェア、フォトフェスティバルへの取材、写真をテーマにした実験的な展示など、現代写真の最先端に目配せしつつ、写真全般について精力的なフィールドワークを続けている。携わった写真関連書に、高梨豊著『ライカな眼』(毎日コミュニケーションズ、編集・構成)、渡辺兼人写真集『既視の街』(東京綜合写真専門学校出版局+AG+ Gallery、構成・解説)、Val Williams『Study of PHOTO 名作が生まれるとき』(ビー・エヌ・エヌ新社。日本語版監修)など多数。東京造形大学、東京綜合写真専門学校、東京ビジュアルアーツで非常勤講師を務める。