古史古伝は「霧のなかのロマン」
日本は近代国家でありながら太古の叡智を残している唯一の国!
この宝を掘り起こし、世界に伝えてほしい!
気鋭の日本研究者、モロー氏は熱く語る。
さあ、日本の出番だ!
太古の物語や神話には叡智が隠されている。
人も国も、物語と神話なくして
生き残ることができないとモロー氏は言う。
自信をなくした日本人を元気づけてくれる待望の書。
私どもが歴史を学ぶのは、
自分が「何であるか」を知るためと言ってもよいでしょう。
とするなら、古史古伝を学ぶのは、
私どもは「何になりうるのか」を知るためなのです。
古史古伝は、歴史は事実の科学だとする見方をひっくり返し、
歴史を可能性の領域に運び込み、
可能な歴史の幅を広げてくれるのです。
一体誰がどんな権限で正史と偽史を区別するのだろうか?
ここで言う聖なる科学の「科学」とは
フランシス・ベーコン、ゲーテも言っていた、
ラテン語のスキエンティア(叡智)のこと。
古史古伝=パラヒストリー(擬似史、例外史、番外史)
の意義と役割を余すところなく伝える必読の書!
本書で私が取り上げた三つの古史古伝
(旧事紀、ホツマツタヱ、カタカムナ)は、
いろいろな角度から見ても、互いに全く異なっていますが、
ひとつ共通していることがあります。
つまり、それらは太古の国が実在していたことを
覚えているということです。
その国では、一貫した目的のもとに芸術、科学や行動が
すべて矛盾なく行われていたといっています。
言いかえれば、日本の太古史を記憶している三つの文書は、
すべてユリウス・エヴォラがいう、
「活きた国」(organic state)のイメージを伝えているのです。
三つの文書は、みな日本を一系のスメラミコトの
教えのもとに統合しようとしています。
また、旧事紀七二巻本は、競合する伝統もあわせて
一つに統合すべきことを明らかにしようと試みています。
古史古伝はなぜ産みだされてきたのでしょうか。
私どもの考えでは、その理由は、
太古の伝承を知ることは「思い起こす」ことであり、
そして歴史は、理念の記憶をよみがえらせるための手段であるからです。
太古の伝承は歴史として書かれていませんが、
今日まで無数の伝承が伝えられてきました。
しかし、ある伝承を後世に伝えるにはそれを思い起こす必要があります。
ここで、理念のある歴史を書き残すという作業が入ってきます。
というのも、
「歴史の真実性は、歴史家が採用した理念の真実性に裏付けられている」からなのです。