著者は大学を出て活字の仕事を望みながら女子の就職先がなく放送という現場で時間に追われるうちに、
両親との距離が開き、四つ年上で中学のときに東京へ行ってしまった兄と話す機会も失われた。
家族のことをあまりに知らなかったことに気付いて、つながる方法を模索し、三人に手紙を書くことを思いついた。
それが『家族という病』の最後に掲載している手紙であり、
『家族という病』を書くことは、著者が家族とつながるための方法だったのである。
さらに、著者は自分の母の死んだ年令に近づきつつあり、自分はどこへ行くのかとしきりに考えていた。
それを知るためには、どうやって自分という生命がこの世に来たのかを知りたいといつしか思うようになっていた。
そんな矢先、夏を過ごしていた軽井沢の山荘で、母親の遺品が何箱かあることに気付く。
恐る恐る開けてみると、著者が子供の頃書いた日記などにまじって、たくさんの手紙らしきものが見つかった。
何気なくその一枚を手にして著者は驚く。
それは、結婚前に母が父に送った手紙だった。
それを読むと、二人共再婚で、二年間百通近い手紙のやり取りをして結婚に至ったらしい。
母は生地の上越、父は今の中国の旅順と海をはさんで結婚まで、一度もあったことがなかったのだ。
読み進むうちに、著者の知らない事実が明らかになり、想像もできない情熱的な母を発見することになった。
著者が母親の強い意志のもとに生まれたことも。