昭和38年4月17日深夜、山村組組員が打越会会員を急襲、一人を射殺した。この一発の銃声が、敵対する両組による“広島ヤクザ戦争”の引き金となった。しかも背後には、力による日本制覇を狙う神戸の山口組、本多会の二大勢力がひかえていたのだ。殺(や)られたら殺(や)りかえせ――ヤクザ同士の血で血をあらうすさまじい抗争は、その一応の終結をむかえるまでに、組員のほか、巻きぞえにされた一般市民を含め、なんと40名を上まわる生命が奪われていった。これは、その渦中にあった美能組元組長・美能幸三の手記をもとに構成した、迫真のドキュメントである。