著者はNHKブックス『現象学入門』刊行以来30年以上にわたり、平易な語り口の哲学書によって幅広い読者を獲得し続けてきた。フッサール現象学の革新的読解に始まり、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガー、ウィトゲンシュタインを中心に、あらゆる哲学書を「哲学とは何を行う営みなのか」という問題意識のもとに読み解き、一般書にまとめて刊行していくなかで、哲学本来の意義は「誰もがこう考える以外にない」という物の見方――すなわち「普遍認識」を追求することにあること、イオニアのタレス以来、この思考がリレーされてきたことを理解する。同時に、20世紀半ば以降はこのリレーが実質的にストップしていること、多様な哲学理論の開花にもかかわらず知的パズル解きを超える成果が残されていないことに気づき、哲学の途絶えた流れを復興させるべくフッサールの全著作の解読を進めてきた。その成果として自由論、資本主義論、そして大著の「欲望」論などを書き継いできた末に、決定版として、さらなる一歩を踏み出した挑戦的な著作が本書だ。
哲学全体をとらえようとする本は往々にして、哲学者を並列して解説を加えていく平板な構成になる。これに対して本書は、「哲学本来の力と功績は何か」という明確な観点から重要度を基準に評価し、読者にクリアなビジョンをもたらす。すなわち、哲学の方法とは何か、真に重要な功績は何か、を明らかにしたうえで、著者が初めて本格的に「いま哲学は何を考えるべきか」を宣言するのだ。
哲学の方法の特徴は、世界を説明する際に、概念と原理を使うこと。かつて宗教は世界説明に物語を使っていたが、哲学はこれを革新し、宗教を超える普遍的な説得力を持つに至った。物語を信じない者も排除されず、言葉を使って他人を納得させることがルールとなる。
哲学の功績の1つは、このルールにのっとって自然哲学(のちに自然科学と呼ばれる)を創始したこと。ニュートンの著作のタイトルも『自然哲学の数学的基礎』だった。自然科学の隆盛を受けて19世紀に勃興した「実証的社会科学」はしかし、コント以後マルクス主義や社会システム理論に至るまで、理論は花咲けども議論の一致を見出せない迷宮に入った。人間関係の総体である「社会」を自然科学の手法でとらえようとしたことに問題があったのだ。
これを克服するための方法を確立したのがフッサールの現象学であったが、このことはすっかり見落とされていると著者は言う。本書ではこの「社会を捉えるための基礎理論」としてフッサールの功績を、オリジナルのユーモラスな図版も多用して明確に示す。そしてこれを踏まえ、今の哲学の使命であると同時に哲学本来の仕事であったはずの「人間がより自由に生きられるための社会の構築」を進めることを提唱し、その基礎的な考え方を示す。
本書は、ビッグネームたちの功績を重要度別に一括して理解し、哲学全体への一貫した展望を提供する、類例のない“哲学入門”であり、今後の哲学徒が避けて通れない記念碑的な著作である。