いつまでも邪馬台国の場所が特定されないのは“羅針盤”に問題があるからでは?
繊細にして大胆な「『魏志倭人伝』後世改ざん説」で羅針盤を修正し、
道程を筋道立てて検証していくと、邪馬台国は………
いつまでたっても邪馬台国の位置が定まらないのは、「魏志倭人伝」の行程記述の後半が極めて曖昧だからだ。魏志倭人伝を丁寧に読み解き、この曖昧な記述の原因を追究していくと、ある興味深い仮説が浮上してくる……それが「後世改ざん説」である。
「『魏志倭人伝』後世改ざん説」という仮説の根拠と読み解き方の詳細は本文に譲るとして、改ざんを復元し、魏志倭人伝に記された「道里(道程)」を、一つひとつ踏みしめるように辿っていくと、邪馬台国があったのは……現在の熊本平野という結論に至る。
熊本に至るまでの緻密且つ大胆な検証は読む者の知的好奇心を大いに刺激し、五里霧中だった邪馬台国への道が驚くほどきれいに晴れてくる。
そして、最終章で立証される「畿内説」が成り立たない決定的な理由は、現代の畿内説過熱報道にも一石を投じるはずである。
さぁ、古代史最大のミステリーへようこそ。
内容
第一章 「魏志倭人伝」後世改ざん説
第二章 帯方郡から九州上陸までの道のり
第三章 梯儁の報告書と伊都国
第四章 奴国と不彌国
第五章 陳寿の記した道里と邪馬台国の位置
第六章 旁国 狗奴国 その他の国々