【内容紹介・目次・著者略歴】
政治と倫理を媒介する共同性を無惨にも葬り去った20世紀の全体主義。この悲劇以降を生きる我々が背負う課題――政治について考えることの可能性とその思想史的意味の探究――に正面から向き合う本書は、共同性という視座からヨーロッパ精神史を捉え直すため、起源にして根幹であるヘブライ的思考とギリシア的思考に定位しつつ近代の思想を再検討する。ヘブライ的思考における倫理の意味やギリシア的思考における思惟と存在の位置づけをマイケル・ウォルツァー、プラトン、アリストテレスやプロティノスに則して解明し、さらに20世紀フランスを代表する思想家ベルクソンやポール・ヴァレリーの緻密な分析へと至る、独創性豊かな野心作。
【目次より】
序章 探求の道筋
第 I 部 ヘブライ的思考 M・ウォルツァーを素材として
第一章 ピューリタンの聖徒と出エジプト
一 ウォルツァーヘの接近
二 政治理論のなかでのウォルツァー 社会的意味に依拠した批判
三 解放 社会的意味形成のモーメントとしての“起源”
四 解放の正義から社会正義への道程
五 出エジプトの物語への還帰
第二章 創造と出エジプト
一 ウォルツァーとポスト構造主義における人間観との相違
二 出エジプトの物語から創造へ
三 政治から倫理へ
四 正義の実践
五 「繰り返し継いでいくこと」の意味
第三章 命令と命法
第 II 部 ギリシア的思考
第四章 ギリシア的思考における思惟と存在の関係の概観
一 思惟と存在の同一性
二 プラトンとプロティノスにおける oν, μn, oν
三 「それ」に向かう思惟のもつ道徳性
第五章 共同性への関心と美的無関心
一 政治共同体の精神史的構造
二 カントにおける美と社会性
三 ストルニッツのシャフツベリ観 美的無関心
四 カッシーラーのシャフツベリ観 本来的共感
五 シャフツベリからラヴェッソンヘ
第 III 部 ヘブライ的思考とギリシア的思考の交叉
第六章 デモクラシーヘの志向的超越 H・ベルクソン
一 ベルクソンヘの接近
二 魂の身体への下降 「プロティノス講義」VIII節と「夢」を素材として
三 個体的生への関心 『物質と記憶』第三章
四 共同性への関心 『道徳と宗教の二源泉』
五 共同の生という倫理
第七章 共通世界としてのヨーロッパヘの還帰 P・ヴァレリー
一 レオナルド・ダ・ヴィンチの精神史的意味
二 私の眼の全体化 一九一〇年代までのヴァレリー
三 眼差の転回 ヨーロッパという共通世界へ
四 言葉たる命令の実践
結び
註
あとがき
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藤田 潤一郎
1969年生まれ。政治学者。関東学院大学法学部教授。京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。法学博士。専門は、西洋政治思想史。
著書に、『存在と秩序 人間を巡るヘブライとギリシアからの問い』 『民主主義を考える 過去、現在そして未来へ』(共著)『創造する「平和」 共同性への模索と試み 』(共著9『ヨーロッパにおける政治思想史と精神史の交叉 過去を省み、未来へ進む』(共著)『政治と倫理 共同性を巡るヘブライとギリシアからの問い』などがある。