私たちが生きている現代世界において、決定的な役割を果たしているのは、「西欧近代科学」であるといえるでしょう。しかし一方で「科学」は、時間的・空間的な規定を受けており、普遍的・絶対的ではないことを認識する必要があります。
本書では科学の起源を問い直します。ラテン語の《scientia(知識)》に淵源し、古代ギリシアに生まれた「自然現象を自然現象として認め、ある原理的な体系から、そうした個々の現象の説明を与える」という思惟構造が、西欧で独自の発展を遂げたものです。
キリスト教敵世界では、「神の意志」と「理性による世界支配」が、自然界と人間界両方の秩序の根幹であるとの考え方が」だんだんと支配的になります。そして中世ラテン世界は、十字軍を経て、アラビア文化圏から流入したギリシア・ローマの「科学」的遺産を吸収し、本格的な「西欧・近代・科学」へと発展していきました。その流れの中で、アニミズムの否定、自然の世俗化、それが進展しての実証主義が支配的になります。魔術から技術へという流れです。そして未来はつねに「進歩」をもたらすものでなければならないというドグマのようなものが支配的になったのです。
そしてこの科学の考え方が、私たちの思考法をどのように呪縛しているのかを、点検していきます。「観測の問題」「言語による外界の把握」「造られた科学」「《整合性》と《簡潔性》」などなど、実際の例を取り上げながらやさしく解説していきます。まさに「科学史」の入門書といえる一冊です。
【原本】
村上陽一郎『科学・哲学・宗教』(レグルス文庫)第三文明社 1977年刊
【目次】
I 科学・哲学・神学
1 科学を準備したもの
2 科学のなかのヴェクトル
3 科学の反省
4 未来への展望
キリスト教の自然観と科学
1 キリスト教と近代合理主義
2 キリスト教からの科学の「離脱」
3 現代への示唆
II 科学的知識と信仰との異同
植木屋の譬え話
自然科学での実際の話
誰が素粒子を見たか
「見える」ことが「存在する」ことか
「……を見る」と「……として見る」
「……として見る」の基礎構造
「ことば」による把握
「……を見る」ことと「……を存在させる」こと
科学は何によって造られるか
自然科学的理論の「流行」
簡潔性と整合性
価値の世界との「整合性」
「心」の私秘姓
「こころ」の存在
こころと素粒子
自分の「こころ」と他人
人間の「こころ」の特殊性
こころの普遍化への二つの方法
あとがき
学術文庫版あとがき