さっと読めるミニ書籍です(文章量15,000文字以上 20,000文字未満(20分で読めるシリーズ))
【書籍説明】
このシリーズは、幕末に起源がある商社に繋がる人たちの人生をたずねて、彼らからメッセージを聞き取り、大いにインスピレーションを得ようとするシリーズである。
これまで坂本龍馬をはじめ登場した人物はみな日本人であった。
今回は角度を変えて日本の居留地に進出した外国商館5社からのメッセージを受ける。
日本に進出してきた外国商社の中でもっとも有名な企業はジャーディン・マセソン商会(以下JM商会)だろう。
巨大イギリス商社としてアヘン戦争で清国と深く関わると、長崎では代理店グラバー商会が日本の幕府及び西南諸藩と深く関わって両国の歴史に名を残した。
サッスーン商会もまた清国とのアヘン貿易で名を馳せた大商社だったが、意外にも、日本の居留地貿易ではJM商会を除くと、大商社は成功せず、デント商会などは日本に進出後間もなく倒産した。
ただし、サッスーン商会はやがてサッスーン財閥となり、ユダヤ系7大財閥と呼ばれる。
オーガスティン・ハード商会はアメリカの商社で、やはり中国へ進出して茶とアヘンを扱っていたが、特筆すべきは「苦力(クーリー)」と呼ばれる擬似奴隷集団を中国から北米大陸などへ「輸出」したことである。
クニフラー商会はドイツの商社である。
1859年に長崎で設立され、土佐藩と艦船ビジネス及び樟脳一手販売で約定を結ぶが、土佐藩の契約不履行で、問題となる。
後藤象二郎・岩崎弥太郎と交渉したことで知られる。
シイベル&ブレンワルド商会は横浜で設立されたスイスの商社である。
生糸輸出に関しては、開港直後はJM商会が資金力に物を言わせて貿易を独占したが、中小商社の時代になると、シイベルは生糸の改良や新規市場として米国市場を開拓するなどの貢献をした。
当時貿易の主導権が外国側にあったのは、不平等条約で守られていただけではない。
世界のネットワークを駆使しながら、自社で船舶と銀行を保有して、人材・商品・資金・情報・流通の面ですべて外国側が勝っていたからである。
日本の商人たちは外国商社を「商館」と呼び、「商館」との取引から貿易のノウハウを学んでいった。
当時の日本人が感じたであろう貿易に関する刺激を再現できればいいなと考えている。