日米が開戦してほぼ半年が経過した1944年、皇国は重大な問題に直面していた。アメリカが蘭領東インド(現ボルネオ)を租借したのだ。ここから米艦隊が出撃するとなれば皇国の物資補給が困難になる。ここにおいて、海軍は「波号」作戦を発令した。蘭領インドを封鎖し、もし米海軍機動部隊が出現すれば、一挙に殲滅するというものだ。だが、改選を控えたルーズベルト大統領は、国民の人気を回復すべく対日戦の勝利を望んでいた。大西洋の戦艦や新鋭空母をすべて太平洋にまわし、皇国海軍に壊滅的打撃を与え再選を確実にしようとの思惑なのだ。このために集結した戦艦7隻、正規空母8隻、重巡10隻。皇国情報省の予測をはるかに上回る陣容だった。対する皇国海軍もまた、正規空母8隻を筆頭に持てる戦力のすべてを結集させた。井上成美、小沢治三郎、南雲忠一の三提督が渾身の知恵を絞って立ち向かう航空撃滅戦と艦隊決戦。中部太平洋に日米の精鋭が激突、国家の存亡を賭けた風雲が渦を巻く。