昭和21年3月、日本軍の陸海空を問わない自爆攻撃によって大被害を出しつつも、辛うじてオリンピック(九州上陸)作戦を完遂した連合軍は、次なる作戦へと動き出した。すなわち関東上陸、帝都制圧を目的としたコロネット作戦である。戦略爆撃によって海岸線を完全制圧した連合軍は、一気に相模湾に向かって進撃を開始する。だが、ここで姿を現われしたのは500機の『帝都決戦機』だった。75機の護衛戦闘機に守られた特攻機は大型戦闘艦には目もくれず輸送艦船を攻撃、連合軍は一瞬にして4万人以上の兵力を無力化されてしまう。だが戦力に勝る連合軍は、被害をものともせず作戦を強行、日本の噴進砲部隊の猛反撃を受けながらも湘南海岸に上陸を果たした。かくして国民義勇隊を巻き込みながら泥沼化と化す地上戦。だがその一方で、陸軍主戦派が占める松代大本営では、戦後交渉に向けた新たな動きが始まっていた。