武士の棟梁・将軍位をめぐる継承争いは、武家政権の宿命とも言えたが、この最高の名誉を放棄した奇特な?人物もいた。三代家光の直系で六代家宣の実弟であり、七代家継の叔父にあたる男、上州館林藩主・松平清武であった。清武は次代将軍就任を懇願されながら、庶民の目線第一という姿勢を頑に貫き通し、長屋住まいを願い出たのである。そんな人柄と才を見抜いたのは、八代将軍となった吉宗であった。清武は、北町奉行の任に就いた大岡忠相とともに、強引に政の補佐役とされ、町中から世直しに尽力。制度の制定や小石川養生所の設立など、おなじみの改革を陰から推進する。享保の悪を斬る義の剣が、新しい世を築いてゆく──熱き殿さまの躍動を描く評判シリーズ、第二弾!