あらすじ生麦村でのイギリス人殺傷事件から十カ月……イギリスは艦隊を鹿児島湾に派遣し戦闘の火蓋が落とされる。勝敗は明白と思われたが、艦長の戦死などイギリス軍は甚大な被害を受け、国内外の世論の批判にも晒された。一方、世界の技術力を身をもって知った薩摩藩は講和を決断するが、そこにはある目論見があった──。幕府、薩長は、「攘夷から開国へ」という歴史の潮目をどう読んだのか。