家康も熱心に追求した「結城家の財宝」探し。将軍吉宗が探索を命ず。余は、あの財宝はまだあると見ておる──吉宗の言に将軍の影目付・柳生俊平は、大岡忠相に合力すべく、下総一万八千石結城藩へ…。家康の第二子・秀康は太閤秀吉の養子となったが太閤に子ができると結城家に養子に入った。結城家の財産は元は奥州藤原氏の黄金。秀康に財宝を奪われるのを恐れた結城は城中のどこかに財宝を隠してしまった。柳生家一万石の第六代藩主・俊平は、将軍吉宗から密命を受ける。幕府財政難を打開すべく、「結城家の財宝」探しと、幕政各所の「裏金づくり」の摘発の二つであった。