講道館紅白試合で5人抜きを達成した広瀬武夫は、ロシア留学中に芽生えた恋を日露戦争のために妨げられ、戦死を遂げてしまう。しかし講道館にも次代を担う新しいヒーローたちが誕生していった。京都武徳会の主任教授となった磯貝、講道館幹部の一人となる永岡、そして後に10段に上り詰める三船久蔵も、講道館の門を叩く。明治、大正、昭和にかけて、嘉納を始め山下、富田などの門下高弟たちの大きな苦労によって、柔道は海外にも普及して行った。また嘉納は教育界の要職にあって幾多の人材を育てる。なお国際オリンピック委員として、オリンピックの発展に寄与し、戦争のため幻に終わった第12回オリンピック東京招致に成功した。